アムル・モスク(641/2年)

初期イスラーム時代、アラブ・ムスリム軍を率いた将軍アムル・イブン・アースがエジプトに侵攻し、現在のカイロの南にあたるナイル川東岸沿いの古バビロン近くにミスル(軍営地)としてフスタートを建設、そこに641年に築いたモスクが母体である。その後、度重なる拡張を経て、1977年に大規模な修復が行われた。

南東方向がキブラ(マッカの方角)で、北西面に主入り口がある(1)。周壁は、間口110メートル、奥行120メートルである。中央には中庭があり、林立する柱に屋根をかけた多柱室と回廊で囲まれる。この形式を多柱室モスクという。

北西面の主入口とミナレットは、1800年頃、ムラード・ベイの改修によるものである(2、3)。もう一本のミナレットも同時期のもので、南の角に位置する(4)。

クレスウェルによると、現在の大きさの多柱式モスクになったのは、アッバース朝下の827年、総督イブン・ターヒルの時代であった(5)。中央の泉(6)は20世紀の修復である。また、キブラ(マッカの方角)壁に対して直交するアーケードの向きはムラード・ベイの時代からとされる。けれども円柱や柱頭は、不揃いなイスラーム到来以前の建築からの転用材を用いている(7)。

現在、キブラ壁(南西辺)にあるミフラーブは(8)、20世紀の改修による。創建当初は中庭やミナレットを持たず、ミフラーブも平板で、8世紀初頭までには、ニッチ状のミフラーブに置き換わったとされる。