イブン・トゥールーン・モスク

アッバース朝から独立したトゥールーン朝のアフマド・イブン・トゥールーンが876〜79年に築いた新都カターイウ(現在はカイロ市内)の大モスク。アムル・モスクの北北西、2.5キロメートルの地に位置する。創建当時の姿をよく残す、イスラーム初期の多柱式モスクの典型例である(1)。

外形は間口120メートル、奥行140メートルで、南東のキブラ(マッカの方角)壁を除いた3方に、コの字型に幅19メートルの外庭(ズィヤーダ)が回る(2、3)。モスクの外周壁には、透かし細工のバトルメント(銃眼)が続き(5)、外庭の北西辺中央に螺旋形のミナレットがある(3、4)。モスク自体はレンガ造であるが、ミナレットだけは石造で、下層に対の馬蹄形アーチを持つ点が特徴的である。なお、近くにマムルーク朝時代のサルギトミシュ・モスク(1356年)が位置し、ミナレットとドームが見える(4、5、8)。

92メートル四方の中庭の南東部に多柱式の礼拝室があり、中央ミフラーブの上に小ドームが載る(6、7)。中庭の中央のドームを戴く泉亭(ホウズ)は13世紀末に、バフリー・マムルーク朝第12代スルターン・ラージンによって付加された(8)。礼拝室の中央ミフラーブ前の木造ドーム(6、7)、ミナレットの最頂部の2層のドーム建築の付加も彼に帰される(4)。

礼拝室は奥行き5スパンで、矩形の太い柱(ピア)のアーチ列によって平天井が支えられる(9)。このピアは、サーサーン朝の流れを汲むもので、四隅に円形の付柱が刻まれる。柱頭、アーチなどに手の込んだ漆喰浮彫細工がなされ、ピアの上部には小型のアーチがくりぬかれる。中庭を囲むファサードも同様で、ピアの上部に小型のアーチが開口し、その両脇に花型のメダイオンが配され、八角形の中に八弁花形の並ぶコ−ニスが軒を区切る(6、7)。

なお、柱やミナレットの形、外庭をもつ平面構成など、イラクのサーマッラーに残るアッバース朝期の2棟のモスクとの類似点が指摘される。ムタワッキル・モスク(842−861年)とアブー・ドゥーラーフ・モスク(861年)である。サーマッラーは、836年から892年まではアッバース朝の首都であり、トルコ系軍人であった創建者イブン・トゥールーンが教育を受けた地であった。