ナースィル・ムハンマドの複合体

カーヒラのズワイラ門(南門)とフトゥーフ門(北門)をつなぐバイナル・カスライン通りの中央部西側、カラーウーンの複合体の北、バルクークの複合体の南に接する。1294年にバフリー・マムルーク朝第11代スルターン・キトブガーが建設を始め、スルターン・ナースィル・ムハンマド第2回目の在位期間中の1304年に完成した。マドラサと墓廟からなり、ミナレットが入り口上部に配置される(1)。

ミナレットは、角柱状の上に八角形の塔頂部を載せたものである。角柱部分には繊細な漆喰細工が残り、バルコニーはムカルナス(鍾乳石飾り)で支えられる。漆喰浮彫細工はアンダルシアや北アフリカの意匠と類似する。また八角柱部分は、様式の差異からおそらく創建当初のものではないと、ベーレンス・アブーセイフは推察する。なお、入り口部分は、バフリー・マムルーク朝第9代スルターン・ハリール(カラーウーンの息子)が十字軍との戦いの際、アッコの教会からの戦利品で、ゴシック様式で有名である。

入り口の北側に位置する墓廟では、木造のドームはかなり以前に崩壊したままで、八角形のドラムだけが残っている(2)。墓室には、スルターン・ナースィル・ムハンマドの息子のアーヌークが葬られ、彼は南隣りに位置する父、カラーウーンの複合体の墓廟に葬られている。またこの北隣りには、バルクークの複合体が位置している。

マドラサは、中庭に面して入り口と奥に大きなイーワーンをもち、さらに中庭側面に小型の二つのイーワーンを付加している。すなわち、サーリフ・アイユーブのマドラサで導入された二イーワーン式からさらに進化した四イーワーン式である。