バイバルス・ジャーシャンキールのハーンカー

東の北門であるナスル門から南下するジャマリーヤ通りの東側、ハーキム・モスクの南、300メートルの位置にある。この通りはバイナル・カスライン通りとほぼ平行し、アズハル・モスクへと通じている。バフリー・マムルーク朝第14代スルターン・バイバルス・ジャーシャンキールによって、1306年に着工、1310年に完成した。彼はスルターン・ナースィル・ムハンマドの2度目と3度目のスルターン在位の間、わずか1年ほどスルターンとして在位した。ジャーシャンキールの名は、即位前スルターンの毒味役を努めていたことによる。彼は、ハーキム・モスクのミナレットの塔頂部を修復したことでも知られている。ハーンカー(修道所)、墓廟、ミナレットからなり、通りに面して北側に墓廟、南に入り口の上にミナレットが建つ(1、2)。

ミナレットは、角柱状の基部と円筒状の上部をもち、さらに径を縮小したアーケード状の最頂部が載り、リブ状のドームを冠する。角柱状の部分には3つのアーチ型が分節されているが、その意匠はファーティマ朝風である。八角形に突出するバルコニーはムカルナス(鍾乳石飾り)によって支えられる。

墓廟は内径12メートルのドーム室で、通り側に前室が付属している。通路の取り方から、ハーンカー部分より遅れて建設されたとベーレンス・アブーセイフは推察する。レンガ造のドームが八角筒のドラムの上に載る。内部の大理石細工は有名である。

ハーンカーは神秘主義のための教学施設で、居住施設をもつマドラサと同様で、スーフィー達はここに居住していた。なお、カイロにおいて現存する最古のハーンカーである。ハーンカーでは、マドラサと同様な四イーワーン式を採用しているが、居室部分が3階建てとなり、側面のイーワーンは広間ではあるが、中庭に向かって間仕切り壁が挿入され、大アーチを開口させていない。

通りに面する南側に、アミール・カラースンクルの墓廟(1300年)がある(2)。マドラサはファサード部分しか残らず学校に転用されている。後世のネオ・マムルーク様式の入り口と、1300年建設の墓廟のリブ・ドームが見える。