ナースィル・ムハンマド・モスク

アイユーブ朝の初代スルターン、サラーフッディーン(サラディン)・ユースフ・アイユーブが築いた山の城塞(カルアトゥルジャバル)に位置している。すぐ近くに19世紀のムハンマド・アリー・モスクがある。バフリー・マムルーク朝の最盛期のスルターンと言われるナースィル・ムハンマドが1318年に完成、1335年に再築した。彼は、1293〜94年、1299〜1309年、1310〜1341年に3度にわたってスルターン位に在位した。バイナル・カスラインにあるナースィル・ムハンマドの複合体を完成させ(1304年)、彼の父カラーウーンの複合体のミナレット塔頂部(1304年)を建設した人物である。

間口75メートル奥行60メートルの大モスクで、中庭とそれを囲む回廊から成る(1)。大モスクの構成から見ると、9世紀の2棟(アムル・モスクイブン・トゥールーン・モスク)、ファーティマ朝の2棟(アズハル・モスクハーキム・モスク)はキブラ側の礼拝室を柱が林立する多柱室とした。しかし、ナースィル・ムハンマドのモスクでは、キブラ側中央に直径15メートルに達するドームを挿入する点が大きく異なる。こうした構成は、カイロではバフリー・マムルーク朝第5代スルターン、ザーヒル・バイバルス(1266−69年)のモスクから始まった。多柱室に大ドームを挿入することは、東方のペルシア起源とされる。ナースィル・ムハンマド・モスクのドームは、オスマン朝期に崩壊し再建されたが、創建時には緑のタイルで覆われていたといわれる。

西側中央入り口上部(1)と、建物の北東隅に、意匠の異なる2本の石造ミナレットが配置される。西側のミナレットは、シャフト部分のジグザグ文様と、頂部の緑、白、青のタイル装飾が特徴的である。カイロにおいて風変わりなミナレットは、この時代、マムルーク朝とイル・ハーン朝の関係が良好で、タブリーズからの工匠がマムルーク朝宮廷にいたことと関係付けられる。

現在は失われたが、彼は、城塞内に数多くの宮殿建築を建設した。その一つ大イーワーン宮殿は大ドームをいただく建築で、彼のモスクの西側に19世紀までその建物は残っていた。