バルクーク廟

カーヒラの目抜き通りバイナル・カスラインに営まれたバルクークの複合体から東へ1.7キロメートルの北のカラーファ(墓地)に位置する。北のカラーファはカーヒラの東側に広がっている。スルターン・バルクークの息子ファラジュが、1399年の父の亡後、1400年に着工、1411年に完成した壮大なハーンカーである。北のカラーファを開発したバルクークは、カーヒラ内の複合体に葬られるより、砂漠の中、崇敬を集める神秘主義聖者達の近くに葬られることを欲したと言われる。

間口、奥行ともに70メートルで、入り口は建物の北西隅に突出する(1)。中庭のキブラ側、南北に墓の大ドームがある(3)。ドームにはジグザグの文様が刻まれ、移行部は曲線の繰り型をもつ。2つのドームの間は多柱式の礼拝室で、中央ミフラーブ前に小ドームが載る(3〜7)。中庭の北側(8)と南側(9)は列柱廊で、北側の背後にハーンカーの多層の居住施設(8、17)、南側の背後に水廻りの諸施設がある。中庭の西側も礼拝室と同様な多柱室となる(10)。礼拝室(12)は間口7スパン奥行3スパン、計20コの曲面天井(13)が架かり、中央ミフラーブ前だけは高いドームとなっている(14)。ミフラーブは無装飾で(14)、ミンバルが左手に置かれる。この石造ミンバルは木造を模しており、1483年にチュルケス・マムルーク朝第21代スルターン、カーイトバーイによって寄進された(15)。

西側ファサードにミナレットが対に建ち(9〜11)、その下にサビール・クッターブも対に建設された。ハサンの複合体で試みられた対のミナレットが、ここでは、西側ファサードに用いられ、対のドームと呼応するかのような形をとる。形は、四角柱のシャフトに円筒シャフト、さらに8角形の頂部という構成である。最頂部の宝珠は、19世紀以後の修復である(11)。

墓廟は、北のドーム(7、8)が父バルクーク、創建者で息子のチュルケス・マムルーク朝第4代スルターン、ファラジュとその息子達の墓地で(16)、南のドーム(4、6)がバルクークの二人の娘達と乳母の墓地である。ドームは、内径15メートルに達し、石造ドームとしてはカイロで最も巨大で、従来の木造やレンガ造のドームを凌駕する技術を見せる。