バルスバーイのマドラサとサビール

バイナル・カスライン通りを南に下った通りの西側に建つ。チュルケス・マムルーク朝第12代スルターン、バルスバーイが1423年に着工、1424年完成、マドラサ、サビール・クッターブと墓廟を建設した。彼は、チュルケス・マムルーク朝へと転換を図ったスルターン・バルクークのマムルークの一人であった。彼自身は、北のカラーファ、バルクーク廟より南西へ200メートルのバルスバーイの複合体(1432年)に葬られた。マドラサの墓廟には、バルスバーイの妻ファーティマ・アシュラフィーヤと息子ムハンマドが葬られている。

通りにそって、南からサビール・クッターブ、マドラサの入り口、ミナレット、墓廟が並ぶ(1、2)。複合体の北側、東西方向の通りの向こうに見えるのは、シャイフ・アリー・ムッタハル・モスク(1744年)のミナレットである(1、2)。赤と黄色のアブラク(縞状の色石細工)でファサードが構成される。入り口部分はムカルナスの上にコンチ型の半ドームを載せる(3)。ミナレットとドームは北のカラーファにあるバルクーク廟とよく似た様式である。

マドラサは四イーワーン式で、マドラサの中庭を抜け、墓室の前室を通って墓室に入る構成である。