ガウリー廟とサビール・クッターブ

バイナル・カスライン通りと、アズハル・モスクの南側を走る通りの交差点の南東隅に位置する。現在のアズハル通りに北側を面している。ガウリー廟は、ハーンカーと墓廟、サビール・クッターブから成り、通りの西側に位置し、通りの東側に位置するガウリー・モスクと複合体をなして建設された。建設者はチュルケス・マムルーク朝末期の第26代スルターン、カーンスーフ・ガウリーで、チェルケスから来たマムルーク(軍人奴隷)出身で、スルターン・カーイトバーイに仕えた。

南西部に墓廟があり、南北通りに面して入り口が設けられる(1〜6)。墓廟のドームは崩壊し(7)、ハーンカーの広間には明かり取りの小ドームが載る(8)。スルターン・ガウリー廟にミナレットはなく、隣のガウリー・モスクのミナレットが見える(7、8)。

建物の北西部は、西へ突出したサビール・クッターブである(9〜11)。建物の北西部を曲がると、ハーンカーの北面から北東部の入り口へと続く(12)。墓廟のドームは、19世紀に崩壊したが、レンガ造で、青いタイルで覆われていたという。

墓廟の西面ファサードは複合体をなす対面のガウリー・モスク東面ファサードと類似している(1、7、8)。赤と黄色のアブラクで、2階に対のアーチ窓の上に円窓を載せた開口部を用い、さらに上部にティラーズ(インスクリプションを刻んだ装飾帯)、ムカルナス、バトルメント(銃眼)が見える。入り口や一階のマグサ部分には白と黒の大理石が対照的に用いられる。

入り口を入ると(5)、右手が墓廟(13)、左手がハーンカーである。ハーンカーは、中央の広間に3つのイーワーンをもったカー(エジプトの住宅広間)の形式である。なお、このハーンカーは通例と異なり、居住施設をもたない。ハーンカーと墓廟の東側は中庭となっており、一族の墓地となる。ここには、北の入り口から入る。