マフムーディーヤ・モスク

ハサンの複合体リファーイー・モスクの東、城塞の西側に位置する。1565年にカイロ総督となったオスマン朝のマフムード・マクトゥルが1568年に建設したモスクで、創建者自身の墓廟を併設している。オスマン朝の総督(ワーリー)は、通例では任期の後に首都イスタンブルに戻り、カイロに墓を建設することはなかった。

モスクは一辺20メートルの正方形平面で、内部に4本の柱がたち、中庭を持たない。ミフラーブの背後、東側に墓廟を突出させる。突出する墓廟の東側ファサードは、ハサンの複合体の東側ファサードを踏襲する。壁は赤と白のアブラクで、ブルジー・マムルーク朝風である。ミナレットは、ハサンの複合体と同様に南東の隅に突出する。しかしながら、塔身をそのまま円形とし、頂部に錐状屋根を戴いている点はオスマン朝風である。